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カツオの塩辛をなぜ「酒盗(シュトウ)」というのか?

『ママカリ』という食べ物がある。
岡山の方の名物で、小さなイワシに似た魚を酢で浸けたもので、酒の肴には最高の一品である。
ご飯の数として食べても美味しく、自分の家の御飯を食べ尽くしてしまってもまだ食べたいので、他所の家からご飯を借りてきてまでも食べてしまう、マンマ(御飯)を借りてまで食べるので、ママカリになったと言われている。
いっぽう、『酒盗』は、カツオの塩辛のことで、土佐の名物である。
これもママカリと同じような意味で、酒がなくなっても酒盗があまりにも旨いので、酒を盗んでまでも飲み続ける、それで酒盗と呼ばれるようになったと言われている。
しかし、土佐の飲んべえたちは、これをチビチビ食べながら酒を飲むと、酒盗がその酒の半分を盗み飲みしてしまう、一升酒を飲んでも五合は酒盗が飲んでしまったんだというそうである。
土佐の男たちは大酒飲みで有名だが、どうも言い訳しているようで面白い。

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Trackback [0] | Comment [2] | Category [酒の肴の知識] | 2012.12.28(Fri) PageTop

グランマルニエ コルドン・ルージュ  (フランス産リキュール)

グランマルニエの製造元のマルニエラポストル社は、1827年、パリ西方の静かな村、ノーフル・ル・シャトーでジャン・パティスと・ラポストールが蒸留業を営むようになったのが始まり。
その息子ユージェーヌは、1870年代にコニャック地方を訪れ、コニャック蒸留所を買収して、製品をパリに売り広めた。その後、ユージェーヌの娘がルイ・アレクサンドル・マルニエと結婚。マルニエは、養父ユージェーヌの事業を受け継ぐとともに、コニャックにオレンジの香りをとかしこんだ新製品グラン・マルニエを開発し、1880年に発売した。
現在のグラン・マルニエ・コルドン・ルージュの製法の概略を述べよう。原料オレンジには、カリブ海のハイチ島産のビター・オレンジの緑色の残った皮を使う。これをノーフル・ル・シャトーの工場で内側の白い内皮を削り取り、薄い外皮だけにする。これを、コニャック地方ブール・シャラント村にある自社コニャック蒸留所シャトー・ド・ブールから送られてきた無色透明でアルコール度数70度のブランデー新酒に3週間溶け込んだあと、単式蒸留器で蒸留する。こうして得られたオレンジ・スピリッツに、シャトー・ド・ブール蒸留所で3年から6年に渡って熟成されたグランドシャンパーニュ地区産や他の地区産のコニャックをブレンド。シロップや秘伝のエキスを加えたあと、ホワイト・オークの大樽で6ヶ月熟成し、ろ過して、芳醇な瑠璃色のリキュールが出来上がる。
これを、ノルマンディ地区ガイヨンの工場でボトリングし、出荷されるのである。
グラン・マルニエには、高級品としてレッド・ヴェルベットがあるが、グランド・シャンパーニュ地区産原酒の使用率が高く、熟成も6年から12年経たものが使われている。100周年記念ボトルは、グランド・シャンパーニュ地区産、プティット・シャンパーニュ地区産、ボルドリ地区産の12年から15年熟成原酒を使用。150周年記念ボトルは、15年以上熟成させたグランド・シャンーパーニュ地区産原酒のみを使い、ブレンド後の熟成にも2年かけた最高級品。いずれも、コニャック風味とオレンジ風味が混然一体となった絶妙なバランスを持つ。


グランマルニエ

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蒸留酒の発明者は錬金術師?!

古代エジプトに起源を持つ錬金術。安い金属から高価な金や銀を作り出そうというのだから、ムシのいい話しで、もちろん成功するわけはなかった。だから、錬金術師というと、なんとなくペテン師という感じがある。
だが、彼らにも功績があった。蒸留酒の発明である。
錬金術師たちは、蒸留の専門家である。中世、ある錬金術師が、錬金術用のルツボに何かの発酵液を入れたところ、アルコール度数の強い液体が偶然出来た。
錬金術師たちはその液体を、長い間秘密の飲み物として楽しんできた。そして彼らはその秘密の液体を『アクアーヴィテ(生命の水)』とよんだ。
そのアクアーヴェテの製法は、やがてアイルランドに伝わった。アイルランドの錬金術師たちは、そこで飲まれていたビールを蒸留して、その強烈な飲み物を楽しんだ。彼らは『アクアーヴィテ』を自分たちの言葉のゲール語に訳して『ウイスゲ・バーア』と呼んだ。
その『ウイスゲ』が、やがて「ウイスキー」に変わったのである。そのウイスキーはアイルランドからやがてスコットランドに伝わり、スコッチウイスキーという名品が生まれることになる。

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水簾洞  (黒糖焼酎  沖永良部島)

奄美大島よりさらに南、沖縄本島に近い場所にある沖永良部島で造られている黒糖焼酎。
沖永良部島は隆起珊瑚礁の島で、仕込み水にも琉球石灰岩に特有のミネラル成分を多く含んだ水を使っている。
風土の特性がよく現れた特産品といえるだろう。
黒糖焼酎の風味の特徴は、原料の黒糖から生まれるトロピカルフルーツを思わせる香りと、他の本格焼酎にはない独自の甘さである。
この蔵では黒糖の仕込み割合を多くし、常圧蒸留によって原料の素材感を最大限に引き出す。
更に、5年間じっくり熟成させることでまろやかさを与え、上質な味わいの酒に仕上げている。甘さと香ばしさが心地よい酒である。

香りは、甘さと香ばしさが入り混じった香り。焦がしたキャラメル、わたあめ、黒砂糖、干したフルーツなどを思わせる。アルコール感も立ってくる。
味わいは、丸く、トロっとしていて、舌にまとわりつくような感触がある。すぐに舌が熱く感じるようになり、昆布アメを思わせる旨みが現れる。
後口は味わいの中盤から感じられた旨みが減衰しながら、やや甘味のある後口となる。高いアルコール度数の割に余韻は短く、静かに香りが消える。


水連洞

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『かわいい水』と呼ばれる強い酒とは?

ウォッカを日本では、『火酒』とも呼ぶ。火がつくぐらい強い酒というイメージがあるからである。
ところが、ウォッカとは本来、ロシア語の『ヴァダ』から転じた愛称で、『かわいい水』という意味。ロシアの人々が、この酒を心から愛しんでいた雰囲気がよく伝わってくる。
実際、ロシアの寒さの中では、ホロ酔い気分など、すぐに覚めてしまう。
よったと思っても、外を1分も歩かないうちにシラフに戻ってしまうのである。ロシアでは、体を温め、それを保つには、より強烈な酒を飲むことが必要だったのである。
では、ウォッカは何からできているか、ご存知だろうか。だいたい国民的な酒は、どの国でも、その国で最も多く取れる穀物や果物が原料になっている。ロシアは麦の一大産地なので、ウォッカの原料は、大麦、小麦、燕麦などである。
作り方は原料を発酵させ、連続式蒸留機にかける。仕上げは、白樺の炭をぎっしり詰め込んだ濾過槽で何度も濾過し、不純物はもちろん、ウイスキーやブランデーが大切にする風味や香りなども一切取り除くのである。
純粋無比で、ドライ。無職無味無臭の『かわいい水』は、こうして手間をかけて作られている。

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エルディンガー ヴァイスビア・デュンケル  (ドイツ バイエルン州ビール)

エルディンガー・ヴァイス醸造所は、その名のとおり、ヴァイス(ヴァイツェン)ビールだけを作り続けている。ほかのスタイルは一切造らない。
1886年に創業した醸造所を1935年にフランツ・ブロムバッハ氏が買い取り、大きく成長させた。
現在のオーナーはフランツ氏の息子、デアルヴェルナーブロムバッハ氏。地元エルディング村の農家に大麦を契約栽培してもらい、麦芽を作っている。文字通り『エルディングの醸造所』だ。
『エルディンガーヴァイスビア・デュンケル』は濃いディープブラウン。酵母のくすみが優しい印象をもたらす。
香ばしいローストモルト、クローブ、チョコレートのアロマを感じつつ、口に含むと焦げたようなフレーバーがいっそう顕著になり、スモーキーな魅力も加わっていく。バナナのフレーバーもあり、わずかだがホップのキャラクターも探しだすことができる。ハムやソーセージはもちろん、味噌田楽や八丁味噌、そばなど和食にも合う味わいである。

エルディンガーヴァイスビア・デュンケル

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2012.12.25(Tue) PageTop

酒のなる木は本当にある?

もし金のなる木が自分の家の庭に生えていたら、どんなにいいだろうとだれでも考えるだろう。
飲んべえにとっては、金のなる木がかなわぬなら、せめて酒のなる木がほしいところである。ところが、本当に酒のなる木が、時々出現するらしい。
大正も末のある夏、新潟県のある酒造家の酒蔵のそばにある、樹齢200年を超える杉の大木から、アルコール分をたっぷり含んだ雫が、湧きだしてきたことがあった。その杉の木からは、その10年ほど前にも、やはりアルコールの雫が湧きだしてきたことがあった。
酒造家の庭に生えている杉だから、長い間にこぼれた酒をたっぷり吸い取っていたんだろうと、地元の人は噂し合い、『酒杉』と名前を付けられて、県の史跡名勝記念物にも指定されたが、その後枯れてしまった。
このような酒のなる木は、あちこちから報告されているが、その木の内部を循環している樹液には、糖分が含まれているので、それが何かの理由で発酵してアルコールになったのだろうと考えられる。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.25(Tue) PageTop

グレンスコシア  (キャンベルタウンモルト)

地味になボトルと特徴のない名前で損をしているが、キャンベルタウンモルトの良さを伝える貴重な一本である。
味はふくよかでカラメルのようにスイート、かすかにスモーキーさが残り、その余韻が心地よい。
熟成が若いわりにしっかりとしたコクがあり、スプリングバンクと比べてもほとんど遜色が無い。
大西洋に突き出たキンタイア半島の先端にあるキャンベルタウンは、かつてウイスキー産業の中心地であった。今日ではそれはスペイサイドにとって代わられているが、19世紀後半には30近い蒸留所が狭い街の中にひしめき合っていた。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏が修行に訪れた1920年代でも、20近い蒸留所があったという。それが、現在では2つしか残ってない。スプリングバンクとこのグレンスコシアである。
キャンベルタウンが栄えた理由は、大麦の主産地であり、スコットランドでは数少ない石炭の鉱脈があったこと、そして天然の良港に恵まれていたことが挙げられる。
ところが、石炭な掘り尽くされ、海運は時代遅れとなり、アメリカの禁酒法時代に粗悪なウイスキーを大量に生産し輸出していたことも致命傷になった。禁酒法時代の終焉と同時に、人々の好みはよりよいウイスキーを求め、キャンベルタウンモルトから離れていってしまった。
一度張られた粗悪品のレッテルは、そう簡単に拭い去ることができなかったのである。
蒸留所の創立は1835年。1980年代初頭にはおよそ100万ポンドの巨費を投じて大改修、再オープンした。ところが1984年には操業停止。現在のオーナー、ギブソンインターナショナル社が買収した。1989年になってようやく操業を再開した。
全オーナーが借金苦でキャンベルタウンロッホに身を投げて以来、所内には彼の幽霊が現れるという。
キャンベルタウンロッホとは、町の入江のことで、有名なスコットランド民謡にも歌われている。
入り江がすべてウヰスキーだったら、という酒飲みの願望をうたったもので、誰かがパブで歌い出しそうものなら、たちまち大合唱になってしまう楽しい歌である。
ポットスチルはストレートへッド型で初留、再留釜はそれぞれ1基ずつと規模は大変小さい。仕込み用水はクロスヒル湖の水と、建物の地下80フィート(約24メートル)から汲み上げた地下水を利用している。かつてはスコットランド本土のダンバートンシャーで一部熟成を行なっていたが、現在はすべてキャンベルタウンでやっている。


グレンスコシア

Trackback [0] | Comment [0] | Category [モルトウイスキーの知識] | 2012.12.24(Mon) PageTop

ワインの保存を可能したスグレモノとは?

ギリシャの紀元前八世紀の詩人ホメロス。彼が書いたと言われている叙事詩『オデュッセイア』や、『イリアス』の中ではいろいろな英雄が活躍する。
オデュッセウス(ユリシーズ)やアキレス、彼らも英雄もワインを飲んでいた。しかし、彼らが飲んでいたワインは、今のものとは色も味もだいぶ違っていたという。色は今より黒ずんだ赤色で、味もだいぶ甘かったようだ。
というのも、当時はまだワインの保存法が確立されていなかったから、ワインはすぐ味や色が変わってしまう飲み物だったのである。
ワインの保存に画期的な変化をもたらしたのが、コルクの発明だった。17世紀、イギリスのフックがコルクを発見した。コルクは、コルク樫やアベマキなどの木の樹皮から造ることがきでる。18世紀に、このコルクでビンのフタをする発明がされ、ワインを今のような形で保存することが可能になった。ワインの歴史は古いが、今日にように長く保存して楽しむことができるようになってから、以外に日が浅いのである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.23(Sun) PageTop

バーディネ トリプルセック  (フランス産リキュール)

バーデイネ社の製品は、トリプルセックの名称で売られている。アルコール度数、エキス分はコアントローと殆どかわらない。
バーディネ社は、1857年にポール・バーディネがフランスのリモージュで興した蒸留業者。ラム、リキュールの製造に優れ、特に西インド諸島産ラムを自社で熟成したネグリタ・ラムは世界的に販路を広げた。それと併行して、リキュールも数多く手がけ、政界のバーの酒棚を飾るようになった。1895年、息子のエドアールの代になってからボルドーに進出。1975年には、ボルドー市の北のブランクフォールに近代的工場を建て、本拠としている。
同社の製品は、地中海キプロス島産のオレンジ果皮に、キュラソー島産のオレンジ果皮を加え、上質のブランデーに浸漬後、蒸留される。


ハーディネ トリプルセック

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偶然から生まれた酒、シャンパン

シャンパンとは何かといえば、天然発泡性ワインのうちフランスのシャンパーニュ地方で造られたもの、ということになる。シャンパンに入っている泡は、天然の炭酸ガス、だから瓶の蓋を開けると、ポンという音を立てて泡が飛び出してくるわけです。この泡の作り方は、全くの偶然から発見された。
時は17世紀、フランスはシャンパーニュ地方のマルヌ谷に、オーヴェレールという修道院があった。僧、ドン・ペリニヨンは、その修道院の酒蔵係をしていた。ある日彼は、まだ完全に発酵していないワインの瓶に、そうとは気づかずにコルク栓をしてしまった。
数日後、口を固く封じられた瓶の中で、炭酸ガスを発生させながら発酵を続けていたこのワインは、ついに許容量を超えて大爆発。
駆けつけたドン・ぺりさんが『ああ、もったいない』と言いながらこぼれたワインをすくって飲んでみると、素晴らしい味。それがヒントになって、シャンパンの作り方が確立された。
シャンパンを発明したドン・ペリニヨンの名前は、シャンパンの銘柄として永久に残ることになったわけである。

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黒糖焼酎 かつぞう  (喜界島 黒糖焼酎)

奄美大島から約50キロほど東に離れた喜界島で醸されている。発売元の南国物産はもうひとつの主軸銘柄として泡盛の『太郎』を販売しているが、どちらも割り水をして飲み頃のアルコール度数で瓶詰めしているのが特徴だ
割り水に使われているのは、垂水市本城に沸く温泉水「寿鶴」。陽イオンの天然ミネラル成分を豊富に含むこの水を地下800メートルから汲み上げている。
黒糖焼酎は甘味を感じさせるのに、糖分無添加で低カロリーゆえにヘルシー面から注目されているが、『かつぞう』はさらに天然水で水割りにした状態で製品化されているので、健康ドリンク的な楽しみ方もできるでしょう。

香りは、低いアルコール度数は想像できない、はっきりとした香り、干したパイナップル、干し柿、昆布雨などを思わせる。潮の香りも表れる。
味わいは、サラサラとした口当たりが心地よい、舌の上で、ミネラルの風味や干した果物、フルーツみつ豆のような香味が広がってゆく。
後口は、香味の世界が次第に小さくなってゆき、静かに減衰する。苦みやドライ感は生じず、余韻も短くすっきりと爽快な飲み口である。

かつぞう

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アルコール依存症への道、5・5・5の数字とは?

一体どのくらいの酒を、何年間飲み続ければアルコール依存症になるのだろう。飲んべえなら気になるところである。
昔は、どんなに大量に飲んでも、10年はかかると言われたものだが、今ではもっと短い期間でなると言われている。
もちろんその人の体質とか環境によって、大きく変わって来るっが、大体の目安としては、5・5・5という数字があることをご存知だろうか。
一日5合(900ミリリットル)の酒を、週5日以上の見続けると、5年間でアルコール依存症になてしまうそうである。
身に覚えがあって、ドキッとする人もいるのではないだろうか?
最近急に増えだしたと言われる女性のアルコール依存症は場合は、飲み始めてから4・7年で入院してくるという。
またアルコール依存症の人の寿命は、平均52~53歳で、日本人の平均寿命より、30年近くも若死という数字が出ているから、くれぐれも気をつけたほうが良いでしょう。

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シュナイダー アヴェンティヌス  (ドイツ バイエルン州産ビール)

1872年、ゲオルク・シュナイダー氏は、17世紀初頭から続く醸造所をバイエルン王から買い取った。
それから今日まで、シュナイダー醸造所の経営者は彼の名前を継ぎ、現在は6世になる。今でも1世が手書きしたレシピを元にビールを醸造し、その保管庫は鍵を持つ6世しか開けることができない。
シュナイダー醸造所は、小麦麦芽を60%使用した『シュナイダーヴァイセオリジナル』など7種類のビールを作っているが、特に濃厚でゴージャスなのが、『飲むメルセデス』と呼ばれる『シュナイダーアヴェンティヌス』だ。
アルコール度数が高い小麦ビールのヴァイツェン・ドッペル・ボックで、カラメルやバナナ、ココア、ビターチョコレート、くるみ、レーズン、乾燥した薪などを思わせるアロマとフレーバーに心が安らぐ。
アベンティヌスは16世紀に地元で活躍した学者ヨハネス・トゥルマーの通称に由来している。「~rtor」で終わる銘柄名が恒例の、ドッペル・ボックとしては珍しいネーミングだ。

シュナイダーアヴェンティヌス

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2012.12.20(Thu) PageTop

グレンロセス  (スペイサイドモルト)

ベリーブラザーズ&ラッド社12年もののボトルには、蒸留所の美しい建物が描かれたラベルが貼られていて、まず目を引く。デザイン的にも優れていて、見ても飲んでも楽しい佳酒である。
グレンロセスのモルトは、歴史的に早くから評価され、ブレンダーの間では常にスペイサイドのトップシックスにランクされるウイスキーであった。
スペイ川中流のクレイゲラヒからマレイ州の中心地エルギンに向かう幹線道路A941を北上すると、ローゼスの町に至る。それほど大きな町ではないが、ここも古くからウイスキー産業の中心地として栄え、現在でも5つの蒸留所が操業を続けている。
グレングラント、キャパドニック、グレンスペイ、スペイバーン、そしてこのグレンロセスである。中でもグレンスペイ蒸留所は、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏が実地にウイスキー造りを勉強した蒸留所でもあり、そういう意味ではローゼスの町は、我が国のウイスキー産業にとっては『母なる地』ともいえよう。
グレンロセスの創業は1878年。スペイ川の支流であるローゼス川に添って建てられている。しかし、資金援助を受けていたメインバンクのシティ・オブ・グラスゴー銀行がこの年に倒産。
そのために建設計画が大幅に狂い、規模を縮小して建てざるをえなかったという。
その後何度もオーナーが変わり、現在はハイランドディスティラーズ社の系列となっている。ほとんどがブレンド用に出荷され、シングルモルトの入手は比較的困難であった。
同社はロンドンのセント・ジェームス街に店を構える酒類、雑貨販売の老舗で、かの有名なカティーサークは同社のオリジナルブレンドである。もちろんグレンロセスも原酒モルトのひとつとして使われている。
ちなみにハイランドディスティラーズ社は現在、ブナハーブン、タムドゥー、ハイランドパーク、そしてグレンタレット、グレンゴイン、グレンロセスの6つの蒸留所を所有している。
ポットスチルは所有、再留釜あわせて10基と、ローゼス地区では最大規模。
仕込み用水は蒸留所背後の丘の上にある泉の水を、冷却水はローゼス川の水を利用している。

グレンロセス

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えっ、ボトルはガラス製の瓶じゃなかった?!

バーやクラブで『ボトルキープ』という時のボトルは、ガラス製の瓶に決まっている。
しかし、、酒を入れておくボトルは、昔は皮袋であった。
聖書の中に出てくる有名な一節『新しいぶどう酒は、新しい皮袋に・・・』というのは、ボトルのことである。
この皮袋は、子ヤギの皮を丸ごと剥いで、頭を切り取り、その切った部分を口にしたものである。
足はそのまま残しておいて、運搬するときの持ち手にする。皮袋のボトルは、延々と使われてきて、数百年前にやっとガラス製のボトルにとって代わられたが、いまだに水などを運ぶのに実用に使っている地方もあるという。
ガラスの製法は、紀元前から知られていたわけだから、なぜそんな最近まで皮袋のボトルが使われていたのが、不思議な気がする。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.18(Tue) PageTop

デカイパーホワイトキュラソー  (オランダ産リキュール)

オランダのデ・カイパーのホワイト・キュラソーは、キュラソーを創生した会社の製品。
同社は、1695年、南米ベネズエラ沖合いのオランダ領キュラソー島のオレンジ果皮を乾燥して本国に送り、そこでブランデーとともに蒸留して、オレンジリキュールを作り、原料産地のなにちなんで、キュラソーという酒名で売りだした。
これは、リキュールの歴史にとって画期的なことであった。というのも、それまでのリキュールは、薬酒の流れを汲んだ薬草・香草系リキュールに限られており、フルーツを原料とした美味なリキュールは、このキュラソーが最初の出現となったのである。
ともあれ、キュラソーについて語るとき、オランダのデ・カイパー社の名は、『キュラソー生みの親』として末永く人々に伝えられるだろう。
現在、デ・カイパー社のキュラソーは、キュラソー島のオレンジ果皮の他に、他の産地のオレンジ果皮も使われているという。


デカイパーホワイトキュラソー

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江戸前鮨の鮨ネタはどこで取れる?

寿司屋で一杯というのはこたえられない。その鮨はもちろん江戸前鮨である。
ところで、『江戸前』とうことば、今では、多くの人が、江戸、つまリ東京の鮨屋、くらいの意味にしか捉えていないようだ。
本来、『江戸前』とは『江戸の前』の海のこと。つまり、東京湾で捕れた魚で握った鮨こそ、江戸前鮨というのが本当の意味である。
冷蔵技術や輸送手段の発達していなかった江戸時代のこと、相模湾などから運ばれてくる魚よりも江戸前のほうが格段に新鮮で、それを江戸っ子たちは珍重した。
だから、わざわざ『江戸前』とうたった看板を出す店は、『うちのネタは新鮮だぞ』ということを言いたかったのである。
さて、時は変わって現代。冷蔵技術も輸送手段も江戸時代とは比べ物にならないほど発達し、汚れた東京湾で取れた魚よりも、北海道や日本海から運ばれる新鮮な魚のほうが旨いに決まっていると、誰もが思う。
ところがどっこい、昭和になっても戦前までは、東京の鮨屋が握る鮨にネタは江戸前という伝統が守られ、今もアナゴやシャコ、アオヤギ、サバなどは江戸前にかぎると言われているのだ。
ただし、昔は日本橋と芝浜、つまり現在のJR田町駅付近が江戸前と呼ばれる範囲だったが、今は神奈川県の三浦半島。三崎沖から千葉県の内房・館山に至る、東京湾全体を指すようになっている。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2012.12.16(Sun) PageTop

奄美の杜  (黒糖焼酎  奄美大島)

全黒糖焼酎のほぼ半分を占める生産量を誇る人気銘柄『里の曙』と同じ町田酒造の酒。
原料は製法は『里の曙』と同じで、長期熟成をしているのも変わらないが、原酒のブレンドを変えることでより軽やかでマイルドな風味に仕上げたのが『奄美の杜』である。
ラベルには、奄美の自然に魅せられて50歳の頃から移り住んだ画家、田中一村の作品が使われていて、甘味が生んだ酒への熱い思いが伝わってくる。
風味は綺麗な香りと丸い味わい、薄い奄美の後口で、全体的に穏やかな印象を受ける。突き出した香味がなく、オールマイティな酒質なので、カクテルのベースにも向くだろう。

香りは、綺麗な香りで、新鮮なパイナップルを切った時の香りや、リンゴ、キウイ、シークワサーなどを思わせるフツール香が漂う。
味わいは、口に含んだ瞬間から、蜂蜜、花粉、ゼリービーンズなどのような香りが広がる。丸みのあるツルツルした味わいである。
後口は、上品な薄い甘みが程よく残り、静かに香味が減衰してゆく。フルーティーな程よい甘さの余韻を残すフィニッシュである。

奄美の杜

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ビールが家庭に普及した原因は?

19世紀の末まで、ビールは家庭で気軽に飲むというわけにはいかなかった。というのは、当時は、瓶に栓をする王冠が発明されておらず、ビアホールになどに出かけて、樽から汲み出すビールをその場で飲むしかなかったからだ。
そのビールの流通に、革命的な影響を与えたのが、王冠の発明である。王冠は、1892年、イギリス人のウイリアムペインターに依って発明された。
王冠の発明によって、ビールの気軽な持ち運びが可能になり、ビールは家庭にまで普及していったのである。
1903年には、アメリカ人のミカエルオーエンスによって、ガラス瓶の自動製瓶機が発明され、安価で大量にビール瓶が作れるようになり、ビールは現在のように、手軽な飲み物になったのである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.11(Tue) PageTop

ヴァイエンステファン ヘフヴァイス  (ドイツ バイエルン州ビール)

南ドイツ、フライシングという町のヴァイエンステファン醸造所は世界最古の醸造所と言われている。
1040年の文献にビールづくりの記述が残されているが、それ以前の768年にはホップの栽培が記録されており、醸造の起源はベネディクトは修道院が建てられた725年にまで遡れるようだ。現在もその伝統と豊富な経験が受け継がれ、バイエルン州立醸造所としてだけでなく、ミュンヘン工科大学の醸造学センターの役割も担っている。
『ヴァイエンステファンヘフヴァイス』は、くすみのあるディープゴールドに豊かな泡が美しい小麦ビール。
バナナの香りに形容されるエステル香と、クローブにも似たフェノール香がしっかりとしている。酵母のもたらす麹のような香りが、日本人に嗜好にもよく合う。苦みは少なく、程よい酸味が爽やかである。
牛肉をパプリカと一緒にビールで煮込んだドイツ料理『ビアクラーシュ』はもちろん、京都の白味噌や粕汁といった日本料理にも合う。


ヴァイエンステファン へヴァイス

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大不況から生まれた名酒コニャック

コニャックといえば、長い伝統の中で育まれてきたブランデーという印象があるが、ワインと比べると歴史はずっと浅い。
もともと、フランスのコニャック地方は、ワインの産地として栄えていた。しかし、ワイン不況に見舞われる中、このブランデーが生まれたのである。
コニャック地方のワイン造りは、紀元前から行われていたという。そして、17世紀、オランダがビスケー湾一帯の海上権を支配。オランダ艦隊は、シャラント川をさかのぼり、コニャック地方の農家から、盛んにワインを買うようになった。そのため、各農家ではぶどう畑を拡張。ブドウをどんどん栽培し始めたのである。
ところが、いいことは長くは続かないもので、たちまち生産過剰になってしまう。そこで売れないワインを抱えた農家は、処分するつもりでワインを蒸留してみた。すると、なんとも味わいの深い酒、後のブランデーが出来上がり、思いがけない大ヒット商品になったのである。
生まれたばかりのコニャック地方のブランデーは、まだまだ完成度の低いものだったが、以後、多くの蒸留家の研究によって洗練され、19世紀初頭のナポレオンの時代には、比類なき芳香を誇る酒として認められている。
1919年以来、原産地名称統制例により、同地方産出のブランデー以外、コニャックという名をつけることが禁止されている。

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グレンオード  (ハイランドモルト)

それほど際立った特徴はないが飲みやすく、ほどほどで中庸なモルト。ハイランドの典型的な食後酒といってもいいかもしれない。
蒸留所は、北ハイランドの中心地インヴァネス・オブ・オードという古い町に建てられている。ミュアは英語のムーアにあたる言葉で、『ヒースの野原』のこと。町はちょうどブラックアイル(島のように見えることからブラック・アイルー黒い島ーと呼ばれているが、実際は半島)の付け根にあり、北ハイランド各地から家畜や農産物が集まる市場町であった。
ブラック・アイル大麦野主産地で、この大麦を手早く換金するために、古くからウイスキーの密造が盛んであったとういう。オードの周辺にはかつて幾つもの蒸留所があったが、現在残っているのはこのグレンオードだけである。
創業は1838年。同地方を支配するマッケンジークランの一員、アレキサンダー・マッケンジーによる起業であった。
その後、オーナーは幾度となく変わったが、それ以上に蒸留所名がよく変わることでも有名な蒸留所であった。
ミュア・オブ・オード、グレンオード、あるいは単にオードとも呼ばれ、シングルモルトもかつてはグレンオーディだったが、現在はグレンオードと統一されるようになった。1923年にパースに本拠を置くジョンデュワー・アンド・サンズ社が買収し、以来同社のブレンデッドであるデュワーズの主要モルトとなっている。
ポットスチルはストレートへど型で初留、再留釜合わせて6基。年間の生産量は300万リットルと、UD社系列では最大規模。仕込み用水はナムユン湖、冷却用水にはナムバナック湖の水をそれぞれ利用している。
特筆すべきは、ここがUD社系列の中で『実験的』蒸留所だったことである。石炭の直火焚きに変わる加熱方法として、スチームのパイプを通した蒸気蒸留方式がここで初めて採用され、8年間に渡る比較調査の結果、両者のウイスキーは同じものであったことが証明されている。
以来、UD社系列の蒸留所では蒸気蒸留方式のスチルに切り替えられ、現在ではこの方式が主流になっている。更にドラム式もルティングを採用したのもグレンオードで、現在は蒸留所に併設してモルトスター(製麦)工場がある。


グレンオード

Trackback [0] | Comment [0] | Category [モルトウイスキーの知識] | 2012.12.10(Mon) PageTop

メキシコには毛虫を浸けた酒がある!

テキーラの仲間に『メスカル』という酒がある。
テキーラをもっと素朴に地酒っぽくした酒だが、これもテキーラと同じく、リュウゼツランから造る。
そのリュウゼツランには、グサノ・マゲイという毛虫がつくのだが、その毛虫を瓶の底に沈ませたメスカルが『メスカル・デ・グサノ」。
現地では、歓迎会などのおめでたい会には、必ずこの酒が登場する。
メキシコ人たちは、酒を飲みながら最後にはこの毛虫も、ペロリと食べてしまうが、日本人には、さすがなかなか飲み込めないようだ。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.08(Sat) PageTop

コアントロー  (フランス産リキュール)

製造元のコアントロー社は、フランスのロワール地方アンジェ市に製菓職人アドルフ・コアントローと、弟のエドアール・ジャン・コアントローが1849年にフルーツの蒸留酒を作ってスタート。
後、エドアール・ジャンの息子エドアールが世界各地から集めたオレンジの果皮で飲み心地のいいキュラソーを作り出した。当寺のホワイト・キュラソーはかなり甘みが強かったが、エドアールの作ったものはその甘味を抑えてあり、ラベル上にトリプルセックと大書した。実際に甘味を3分の1に減らしたのではなく、比喩的な表現であったが、『コアントロー社のトリプルセックは甘みが穏やかで美味しい』という評判が立ち、トリプルセックという言葉がこの製品の代名詞になっていった。
ところが、他のリキュールメーカーがこれに追随して、やや甘味を抑えたものをトリプルセックと称して売り出すようになったため、コアントロー社はこの表現をラベルからはずし、ただ単にコアントローのなで売るようになって、現在に至っている。コアントローの製法は、配置のピガラードという品種のビターオレンジの乾燥果皮を水に浸漬して戻した後蒸留。両者の液をミックスして、中性スピリッツを加え、単式蒸留器二回蒸留を繰り返し、オレンジ果皮香味の濃厚なアルコール度数80度のアルコール液を作る。そして、水、シロップを加えた後冷却、ろ過して製品となる。
ただ、製造過程で独自のノウハウが加味されていることは確かで、甘やかな香りにはオレンジの花からの抽出液も利用されているようだ。また、レモンやライムなど他の柑橘果皮や、各種スパイス類も隠し味的に使われていると言われているが、その絶妙な味わいは秀逸といっていい。

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [リキュールの知識] | 2012.12.08(Sat) PageTop

焼き鳥のルーツはなんとアレキサンダー大王

酒の肴の定番のひとつ、焼き鳥。屋台や焼鳥店の店先から、したたり落ちる肉の脂肪とタレの焦げた匂いが煙とともに漂うと、酒飲みはもう、いてもたってもいられなくなるものである。今夜も焼き鳥で一杯となる。
その焼き鳥。昔からある料理で、古くは明応四年(1495年),小田原に到着した北条早雲が、落髪の身でありながら、焼き鳥にかぶりついて周囲を驚かせたという記述が残っている。やや下がって、天正15年(1587年),パテレン追放令を出した豊臣秀吉が、焼き鳥で一杯飲んだという記録もある。
その時期、お隣の朝鮮半島にも、肉とネギの串に卵をまぶして焼いた『さんじゃ』と呼ばれる祭礼用の串焼き料理があった。中国にも、鶏肉と豚の脂肪を串に重ねてタレを付け、焼いて食べるという現代日本の焼き鳥によく似たものがあったようだ。
また、ベトナムにはつくねがあり、タイにも、日本のタレに似た味の焼き鳥がある。インドネシアのシャテアヤムと呼ばれる焼き鳥は、竹串にさした姿が日本のそれをそっくりで、これがインドに行くと塩、コショウで焼くシシカバブになる。もちろん、トルコもシシカバブ。
肉の間にピーマンやトマトを挟んで串刺しにして、焼いたものである。
こうして焼き鳥のルーツを探していくと、シルクロードをどんどん西に向かうことになり、行き着く先は、アレキサンダー大王。彼が腰の剣を抜き放って肉に刺し、それをに火かざして食べたのが串にさす料理の始まりという説がある。つまり、焼き鳥のルーツは、アレキサンダー大王にあったともいえるわけである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2012.12.07(Fri) PageTop

あじゃ  (黒糖焼酎 徳之島)

奄美大島にしかわ酒造は、平成2年に芳倉酒蔵という小さな蔵を受け継ぐ形で誕生した比較的新しい焼酎蔵である。
とはいえ、杜氏の黒瀬輝親さんは43年に及ぶ黒糖焼酎づくりの経験をもち、徳之島の黒糖焼酎の礎を築いた人物。
熟練の技で評価の高い酒を醸す。
『安謝』の仕込は、一次が甕壺、二次と三次は温度変化の少ない合成樹皮タンクで行われる。伝統的な製法と現代の技術をうまく組み合わせるのもこの蔵の特徴だ。
仕込み水は犬田布岳の伏流水で、ミネラル分が多くカルシウムの濃度が全国平均の6倍という高さで醪の生育も良好になる。そして常圧蒸留で原料の風味をしっかりと引出している。

香りは、透明感のあるフルーティーな香りで、他の要素は感じない。パイナップルや干しぶどうのような、黒糖焼酎ならではの香りがある。
味わいは、刺激のない、丸くやわらかな味わいである。華やかな含み高があり、ブラウン・シュガー干しバナナ、パイナップルジュース、黒糖菓子などを思わせる。
後口は香りからフィニッシュまで、苦みやドライな香味は現れてこない。トロピカルフルーツを思わせる甘さがなだらかに減衰してゆく。


あじゃ

Trackback [0] | Comment [0] | Category [焼酎の知識] | 2012.12.07(Fri) PageTop

薬を使わず風邪を治すホットドリンクス

まだ軽い症状だけど、どうやら風邪を引いたらしい。できることなら今のうちに薬を使わずに治したい。
でも日本酒で造る卵酒は、どうも飲みづらい・・・・。そんな人には、洋酒を使ったおしゃれなホット・ドリンクスがおすすめである。とても簡単にできるし、体もあたたまる。

『ホット・ポート』
適当な令のポートワインを小さな鍋に入れて弱火にかける。温まってきたらレモンの皮を入れ、沸騰する直前に火から下ろす。好みによっては、砂糖などを入れて甘くしてもいい。

『トム・アンド・ジェリー』
これはラム酒と卵を使う。卵を黄身と白身に分け、それぞれよくかき回す。白身の方に砂糖を加えて、粘るくらいまでかき回し、そこに黄身とオールスパイスなどの香料を加える。熱に強いグラスに入れてラムを注ぎ、さらにその上から熱湯を満たし、ブランデーを少し垂らす。

『ホット・トディ』
ランブラーに砂糖を少し入れ、そこにブランデー、ウイスキー、ジン、ラムなどの蒸留酒を入れる。量は、ストレートのダブルくらい。その上から熱湯を注いで、レモンの輪切りを浮かべるだけで出来上がり。

あるいは単に、熱い紅茶を入れ、そこにウイスキーを垂らしただけでも良い。
大事になのは、どの場合でもそれらの酒を飲んだらすぐに暖かくして寝るということ。アルコールがあとを引いて、そのあとグダグダ飲み続けてしまったなどというのでは、風邪は治らない。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2012.12.05(Wed) PageTop

フランツィスカーナー へーフェヴァイス・ヘル  (ドイツ バイエルン州ビール)

『フランツィスカーナー へーフェヴァイス・ヘル』は、南ドイツの酵母入り(へーフェ)小麦ビール。1363年から醸造の歴史を持つフランツィスカーナー修道院を、1858年にヨーゼフ・ゼードルマイア氏が買収。1922年にはその一族の、シュパーテン醸造所と合併して現在に至っている。
開栓と同時にバナナのようなエステル香とクローブに似たフェノール香が立ち昇る。魅力のひとつである豊かな泡を楽しむためには、グラスをやや傾けながら注ぎ始め、ゆっくりと立てていくのがいい。ボトルのそこに沈殿した酵母の澱も、ぜひ注ぎ切ってほしい。
メレンゲのように美しい泡とへーフェならではの霞が楽しめる。香りの印象ほど強くはないものの、味わいにもバナナやクローブのフレーバーを感じる。ほのかな酸味が心地よく、苦みは弱い。
ドイツの白ソーセージやポテト料理と相性抜群。パンケーキやバナナプディング、ホイップクリームなどでデートに合わせても面白い。

フランツィスカーナー へーフェヴァイス・ヘル

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2012.12.05(Wed) PageTop

グレンマレイ  (ハイランドモルト)

シングルモルトとしては少々個性に乏しくパンチに欠ける気がするが、その分飲みやすく値段も手頃なのでいつでも楽しめるモルトだろう。
パーティーなどで気軽に飲むには良いかもしれない。もともとブレンダーの間では評価が高く、ほとんどがブレンド用に出荷されていたが、最近では12年物を中心にシングルモルトが数種類販売されている。最近、日本のディスカウント店で出回るようになった熟成年表示のないボトルは、特にコストパフォーマンスに優れている。
マレイ州のマレイから名付けられた蒸留所は、エルギンの郊外、ロッシー川のほとりにある。北海(厳密に言うとマレイ湾)に面したマレイ州一帯はレアック・オ・マレイと呼ばれ、大麦の主産地として古くから大変有名であった。ハイランド地方の中では比較的気候が温暖で、地元の人々は『この辺は他のスコットランド地方に比べて、夏が40日も長い』と、自慢していたものだという。ちなみに、この文言はボトルのラベルにも書かれている。
現在、蒸留所が建てられている場所の18世紀にはビール工場があったところ。ダラス・ムアの豊富な湧き水とマレイ州の良質の大麦が、ビール醸造を盛んにしていたもので、偶然ではあるがグレン・マレイと兄弟蒸留所(親会社が同じ)であるグレンモーレンジも、かつてはビール工場であった。
親会社はリースに本拠地を構えるマクドナルド・ミュアー社で、同社はグレンマレイを原酒とするブレンデッド・ウイスキー、ハイランド・クイーンの製造元でもある。
ビール工場を改造して蒸留所が建てられたのが1897年。創業者は地元エルギンの実業家であった。ビール工場の前は、そこが絞首台のある処刑場だったというのも面白い。1962年、新しい熟成庫を建設中に、地中から数個の頭蓋骨が出土したと聞く。創業後のしばらくして操業停止に追い込まれ、その後も長い間閉鎖されていたが、1920年に前述のミュアー社が買収して操業を再開した。
ポットスチルは初留、再留釜合わせて4基。仕込み用水はロッシー川の水を利用している。

グレンマレイ

Trackback [0] | Comment [0] | Category [モルトウイスキーの知識] | 2012.12.02(Sun) PageTop


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