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天ぷらの理想的な食べ方を実行していた江戸時代

池波正太郎によると「天ぷら屋に行くときは腹をすかしていって、親の敵にでもあったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ」だめらしい。
実際揚げたての天ぷらの旨さは格別である。天ぷら専門店の多くがカウンター式の設計になっているのは、揚げるそばから食べてもらおうという配慮からだという。とすればデートの食事に天ぷら屋を選んだり、天ぷら屋で酒を飲みながら議論したりするのは愚の骨頂ということになる。ただひたすら食べることに専念したほうがよさそうだ。
江戸時代の天ぷら屋は屋台店で、庶民が気安く立ち寄っては揚げたてを食べたものらしい。
当時は油の精製技術が未熟で匂いがひどかったため、屋内では商売にならず、屋台にせざるを得なかったらしいが、江戸庶民は、はからずも天ぷらの理想的な食べ方を実行していたといえる。
ところで、天ぷらははじめ、室町時代にポルトガル人によって伝えられた油を使う魚料理の事だったらしい。それが、各地で独特の工夫が凝らされ、様々に変化した。
ここで取り上げているのは関東の天ぷらだが、関西方面では魚をすり潰して団子のような形にして油であげたものも天ぷらというらしい。さつま揚げもポルトガル人が伝えた天ぷらの変形であると言われている。
ちなみに、天ぷらに天婦羅という字を当てたのは、江戸時代の戯作者山東京伝(さんとうきょうでん)だと言われている。

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2013.09.28(Sat) PageTop

鬼伝説地ビール 金鬼 ペールエール  (日本、北海道産ビール)

温泉で有名な登別の「鬼伝説地ビール」を初めて飲んだ時、その正統的な味わいに驚かされた。
観光地にありがちな「土産物としての地ビール」とは明らかに違うクオリティーの高さである。
中でも「金鬼ペールエール」の華やかなホップ感が、実に清々しかった。
レンゲやスミレの咲春の花畑に迷い込んだようなフローラルな香りである。更には上質の茶葉で入れたダージリンやアールグレーのようなアロマを探しだすことができる。
口に含むと、モルトがもたらすべっこう飴のような甘味がまろやかに広がり、すぐさましっかりとしたホップの苦味が追いかけてくる。この甘味と苦味のハーモニーこそペールエールの真骨頂。飲んでいる間に少しづつ温度が上がっていくとそのバランスも変化するため、いっそう楽しめるだろう。
他に、ホップの苦味の効いた「青鬼ピルスナー」ローストモルトの香ばしさが印象的な「赤鬼レッドエール」も素晴らしい出来栄えである。


鬼伝説

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2013.09.27(Fri) PageTop

京都人にタンパク源 「サバの道」

若狭の方言に「京都い」というのがある。恐ろしいという意味だそうだ。
この方言の誕生は、サバに由来する。
京都は海に遠い。なかなか魚が食べられない。この京都に魚を供給したのが若狭人だった。
中でもサバの風味は京都の人々に喜ばれたという。塩焼きにしたり、バッテラにしたり、京都人の貴重なタンパク源となった。
若さの人々yは、新鮮なサバを携えて、峠越えに若狭街道を京へ向かった。江戸時代の話である。途中、狼が出たり、山賊が出たりする。いきはまだしも帰りは現金を懐に暗い山道を歩かねばならない。いつ狼や山賊が現れるかわからないから、身の細る思いで歩いたらしい。現金がほしいから行かざるを得なかったが、若狭の人々にとって、京都に行くことは恐ろしいことだったのである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2013.09.21(Sat) PageTop

ラガブーリン  (アイレイモルト)

重厚かつ滑らか、ベルベットの様な口当たりで、全モルトウイスキーの中でも巨人的な存在、銘酒中の銘酒といわれる。
嫌いな人は、飲む人の気がしれないというが、一度飲んだら忘れられない味で病みつきとなる。
アイラモルトの中でも、強いピート香、塩、海藻の香りなど、最もその特徴をよく表していて熱烈なファンも多い。
スプリングバンク21年と並んで最も好きなモルトウイスキーである。ベルベットのようなコクを楽しむためにも、水を加えずニートで飲みたい。
蒸留所は、アイラ島の玄関口、ポートエレン港から海岸沿いに4キロ東に行ったところにある。ホワイトホースの大きな看板が入り口に立ち、すぐそれとわかる。ラガブーリンはブレンデットスコッチ、ホワイトホースの核となるモルト原酒で、後にビックファイブと呼ばれるようになったホワイトホース社を率いたピーターマッキーが、実際にウイスキーづくりを学んだのがこの蒸留所であった。
意味はゲール語で「水車小屋のある窪地」ラグは「窪地、小さな谷間」、ヴーリンは、「水車小屋」のこと。ピート層に覆われた、ジクジクした湿地のことで、日本で言えば「谷地」に当たる。
創立は1816年だが、それ以前にあたりには密造が10箇所もあったという。良質のピートと豊富な湧き水、そして何よりも人が近づきがたい湿地が密造酒づくりには適していたのでしょう。実際、知らずに踏み込むと腰まで浸かり身動きできなくなる。やたら歩きまわると危険な場所なのである。
蒸留器はタマネギ型のストレートヘッドで、ウォッシュスチル(初留釜)、スピリットスチル(再留釜)合計4基。
水は背後の丘の上にあるソラン湖の湧き水を利用している。蒸留所の横を流れる引きこみ用の水を見ていると、大変濃いピート色をしていて、そのピート食の水がラガヴーリンのあの強烈な個性の元になっている。
現在はUD者の「クラシックモルトシリーズ」の一つとして16年物が主流を占めているが、かつては12年ものも出回っていた。
オフィシャルボトルとしては長期熟成で、16年という歳月に自信とこだわりを見せている。ボトルのラベルに曰く、「歳月は情熱の炎を消し去り、ぬくもりに変える」まさにモルトの最高峰である。


ラガブーリン

Trackback [0] | Comment [0] | Category [モルトウイスキーの知識] | 2013.09.19(Thu) PageTop

カツオは昔下賤な食べ物であった

目に青葉山ホトトギス初かつを
旬のカツオはことのほか美味い。今は冷凍技術の発達でいつまでも食べることができるが、昔は『女房を質に入れても食べる。』と言われたくらい、旬のカツオ、つまり初鰹はもてはやされた。
といっても、初鰹が庶民の間でもてはやされ始めたのは、鎌倉時代以降のことで、それ以前の人はあまり食べなかったようだ。
なら、平安の頃には、カツオを生で食べる習慣はなかった。蒸して干し固めて食べたらしい。
カツオは「堅魚」とも欠かれるが、これは干すと硬くなるところから付いた名だ。
ところで、蒸して干し固めたカツオは、蒸した時に旨みが汁になって出てしまうため、美味しいものではなかったらしい。そのため、下級な食べ物とされていた。上流階級は「堅魚」よりも、それを蒸した時に出る汁を調味料として使ったという。
鎌倉時代になると、このカツオが生で食べれるようになり、武家社会に浸透、『勝つ魚』として喜ばれるようになった。
そして、それ以前の干したカツオは、さらに製法が進歩して、今ああるような鰹節になった。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2013.09.09(Mon) PageTop

パッソア パッションフルーツ  (フランス産リキュール)

パッソアは、フランスのレミーコアントロー・グループが、ブラジル産の黄色いパッションフルーツを主体に、1886年に開発したもの。レモンジュースを加えて、甘酸っぱいエキゾティックな味にまとめられている。
ミステリアスな装いのブラックボトルから、パステルピンク長の色彩のリキュールが出てくる意外性が、日本の若者たちにウケている。

パッションフルーツは、今、日本の高級果実店に並び、完成鋭いレストランシェフは、これをデザートに供して、ご自慢のコース料理の締めくくりにする。
ファッション感覚に優れたパティスリーシェフは、この果汁を使った新しいケーキの創造に情熱を燃やしている。また、脱都会志向の青年の中には、南西諸島にわたって、パッションフルーツ栽培に打ち込んでいる人もいるという。
パッションフルーツは、今日本でとてもファッショナブルなフルーツになっているのである。
パッションフルーツは、熱帯アメリカ、熱帯アフリカが主産地だが、日本でも関東以南でどんどんハウス栽培されるようになっており、栃木、八丈島、南九州l.沖縄などから、収穫した果実が東京や京阪神のフルーツ店に送られてきている。
それらが普及し、ちょっとパパイヤに似たそのトロピカルな風味に馴染むにつれ、パッションフルーツリキュールの人気も高まるだろう。将来の伸びが期待されるのが、このリキュールである。
パッションフルーツの原産地はブラジル。パッションフルーツという名称を『情熱の果実』と理解する人が多いようだが、これは違う。パッションには情熱という意味の他に、キリスト教でいう受難、殉難という意味もある、このフルーツの場合は、この後のほうの意味で名付けられた。
1610年、あるスペインの宣教師がブラジルに渡り、この植物に出会った。花には三又にわかれた雄芯があり、それは十字架にかけたれたキリストを連想させる。
雄芯が5本あり、それはキリストの遺体の五ヶ所の傷の象徴のように思われる。花冠の形状は、キリストの頭の茨の冠のようだ。宣教師は思わずひざまずいて、この花をパッション(殉難)の花と呼んだという。
そのパッションフラワーの実がパッションフルーツなのだが、ブラジルではマラクーヤと呼ばれ、他の国ではグラダディらと呼ぶこともある。果実は、果皮が赤紫色をしたものと、黄色をしたものがある。
これをリキュール化する場合、皮を割って中のゼリー状の果肉を取り出し、中性スピリッツに浸漬し、多のフルーツを加えて香味と色調を調え、濾過したあと、水、シロップを加えて製品とする。


パッソア

Trackback [0] | Comment [0] | Category [リキュールの知識] | 2013.09.09(Mon) PageTop

天皇も召し上がったほどの高級料理コロッケ

庶民的な食べ物の代表のように思われているコロッケ。かつて『今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・・』という歌が流行ったこともあるくらいだから、庶民的な食べ物には違いないのだが、もともとはそんな安っぽい食べ物ではなかった。
明治時代、華族の社交場として知られた鹿鳴館のメニューを飾り、大正十年には当時皇太子だった今上天皇も召し上がったという。高級食べ物だった。
といっても、天皇が召し上がったコロッケは、普段私達が口にするジャガイモのコロッケとは一味も二味も違うものだった。
フォアグラのコロッケ。これが天皇の召し上がったコロッケだ。当時は、コロッケと言わずクロケットといったらしい。本格フランス料理の名だ。クロケットがなまって、後にコロッケと呼ばれるようになる。
今でも、ちょっと洒落たレストランでコロッケを注文すると、俵型をしたコロッケが出されるが、あれが、フランス料理クロケットの伝統を受け継ぐコロッケである。
ジャガイモのコロッケは、形も中身も、天皇が召し上がったクロッケととは似ても似つかない。コロッケはクロケットがなまっただけなのだから、当然同じものであるべきはずなのだが、日本人の創意工夫にはおどろくべきものがあって、コロッケという名が庶民の間に広まる頃には、コロッケ自体を大衆的な食べ物に一変させてしまった、というわけである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2013.09.04(Wed) PageTop

白雪本格焼酎 富士限定品  (兵庫県 酒粕焼酎)

清酒『白雪』の銘柄で知れる小西酒造の歴史は、今から約450年前、始祖が天文19年(1550年)ににごり酒を醸したことから始まった。
蔵のある伊丹市は清酒発祥の地でもあり、小西酒造は現存する酒造メーカーのかなで最も古い蔵の1つとして、酒造りの伝統を守り続けている。
仕込水は六甲山系の伏流水『宮水』で、清酒造りに適した水として全国的によく知られている。清酒と同じく、本格焼酎もこの上ない仕込水と上質の酒粕を原料に、丁寧に仕込まれる。その原酒を15年もの間、じっくりと貯蔵して熟成させたのが『富士』だ。目の詰まった甘みのある風味を堪能してほしい。

香りは、穏やかながら、濃い香りがゆっくりと漂ってくる。穀物類、きのこ、木、大豆、クッキーやビスケット、コンデンスミルクなど多彩な要素を含む。
味わいは、丸くトロリとした感触で、『ぽってりしっとり』という印象を受ける。含み高はほのかで、かすかに蜂蜜やメイプルシロップを思わせる香りがある。
後口は、ナツメグや、ジュニパーペリーのようなほのかな香りを伴いながら、丸い味わいから一転して非常にドライな後口になる。苦みは生じないきれいな後口。

富士


Trackback [0] | Comment [0] | Category [焼酎の知識] | 2013.09.04(Wed) PageTop

『秋茄子嫁に食わすな』というのはなぜ?

嫁と姑目の関係は複雑なもの。はたから見るとうまくいっているように見えても、内実は、陰湿な戦い、というケースも少なくない。そうした嫁と姑見の関係を実にうまく表現しているのが、『秋茄子嫁に食わすな』ということわざ。解釈の仕方次第で全く逆の意味になってしまう。
ことわざの解釈をする前に、秋茄子というのがどういうナスなのか、解説しておいたほうがいいかもしれない。
茄子という野菜は、秋になると生育が良くなる。皮が柔らかく身が引き締まり種も少なくなって、独特の風味が出てくる。誰もが茄子を「うまい」と感じるのはこの季節だろう。この「うまい」茄子を「嫁に食わせるな」というからには、この姑はケチで意地の悪い姑に違いない。
しかし、逆に、この姑は大変優しい心の持ち主だとする解釈もある。つまり、秋茄子の味は格別だから、あまり食べ過ぎて体を冷やさないように、体を冷やすと子宝に恵まれないからという姑の心遣い、とする説。
これだけ相反する解釈ができるということは、嫁と姑目の関係がそれだけ難しいという証だろうが、見方を変えれば、これだけ両極端の解釈が可能なほど、秋茄子は『美味い』ものということになる。
もし、秋茄子がそれ程の食べ物でないとしたら、このことわざは生まれなかったに違いない。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [酒の肴の知識] | 2013.09.03(Tue) PageTop

よなよなエール  (長野県産ビール)

日本でも多くアメリカンペールエールが造られているが、最も早く『これこそアメリカのペールエールだ!』と日本人消費者に教えてくれたのが、この『よなよなエール』。伝道師であり先駆者と言ってもいいだろう。
グラスに鼻をチアk付けると刺激的なカスケードホップのアロマを感じる。グレープフルーツにも似た華やかな香りだ。口に含むとホップとそれに負けないモルト感がバランスよく広がり、BLTサンドやパスタが無性に食べたくなる。
基本的に缶で販売している点も地ビール業界では珍しい。和のセンスを活かしたデザインと鮮やかな色使いは、表面全体をキャンパスとして利用できる缶ならではの魅力である。
アメリカでビール造りを学んだ同社の石井敏之COOが手がける『よなよなリアルエール』や、イギリスでも高く評価される「東京ブラック」、偉大なビール評論家である故M・ジャクソン氏が激賞して買い占めようとした『英国古酒』も面白く、熱狂的なファンが付いている。


よなよなエール

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2013.09.03(Tue) PageTop

『樽』に「尊」があるのはダテではない

今日では、酒樽に入った酒を飲むことはめったにない。結婚披露宴か起業の大パーティーでお目にかかる程度である。それでも、たまに酒樽から頂いく酒の香りの良さ、これはこたえられない。
しかし、酒樽に杉を使ったのは江戸時代中期意事、思いがけず新しいのである。それ以前は柳を使っていた。
柳は水分を含むと膨張し、隙間から酒がこぼれにくいというので用いられていたという。現在でも動の長い朱塗の樽を柳樽と呼んでいる。
さて、樽というと単に容器であり、それ自体は酒と無関係に見えるが、実は深い関係にある。というのも、尊という字は、本来酒器をさす言葉であった。徳利のようなものが尊であり、これは祭礼などに用いられ、『尊い』という意味が込められていたわけです。そこから転用して、『尊敬』『尊父』などの『尊』となった。
また、『タル』と呼ぶのは、容器の尊の口から酒が垂れるので、「タル」というわけである。
酒樽にも各種あるが、パーティーに引き出されるのは『コモかぶり』『コモ樽』と言われるもの。
「コモ」とは川辺に生えるマコモのことで、現在はわらで樽を包んでいるが、かつてはマコモで包んだので「コモかぶり」になった。
コモカブリを開くときは、それなりの準備とコツが必要である。まず樽の上部の縄、ワラをはさみなどを使って綺麗に取り除く。ついで樽の上段のタガが2つはめてあるが、その下の方をくぎ抜きなどを利用して少し下げてやる。これで小槌や釘抜きを用いて蓋を一度開け、そのフタをそっと元に戻しておく。
この準備をしておいて、いよいよ主賓の「鏡開き」。主賓が小槌で樽の上を軽くトントンと叩くと、蓋が外れる。
あまり強く叩くと、酒が飛び跳ねて頭から酒びたしになってしまうので要注意。
薦被りをあける場合は、当然グラスでは面白くなく、この升を用意してほしいものである。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2013.09.02(Mon) PageTop

ノックドゥー  (ハイランドモルト)

現在、モルトウイスキー蒸留所の半数近くを所有し、スコットランド最大(世界最大)を誇るユナイテッドディスティラーズ(UD)社の前身は、ディスティラーズカンパニーリミテッド(DLC)社であった。
このDLC社は、1920から30年代にかけて多くの蒸留所を買収し、傘下に加える事によって大きくなった会社であったが、そのDCL社が自らの手で初めて建てた蒸留所が、1894年創業のノックドゥーであった。そういう意味では、現在のUD社の原点とも言える蒸留所である。
味はパワフルでリッチ、秀逸なハイランドモルトである。
特に1974年蒸留のGM社のボトル(コニッサーズチョイス)は骨格が素晴らしく、バランスも非常に優れている。
蒸留所はデプロン川上流の街ハントリーの12キロ北にあるノック村に建てられていて、すぐ北には標高420メートルのノックヒルの丘が迫っている。
ノックドゥーはゲール語で『黒い丘』。もちろんノックヒルから付けたれたものである。DCL社が自社独自の蒸留所の建設を決めたのは、ノックヒルの麓で発見された泉の水があまりにも良質であったためだという。
発見後すぐさま地主と契約が交わされ、当時としてはモダンでデラックスな蒸留所の建設が始まった。これが地元にとっていかに大事業であったかは、鉄道駅が設けられ、蒸留所に引き込み線が敷かれたことからも伺われる。
以来100年近くノックどぅー蒸留所はDCL社の原点として、主にブレンデッドスコッチ、ヘイグのキーモルトとして生産が続けられてきた。
しかし、1983年に閉鎖、5年後にインバーハウス社の子会社が買収し、1989年2月から新しいオーナーのもとで操業が再開された。
DCL社時代にシングルモルトが販売されたことはなかったが、、新オーナーはモルトの販売にも力を注ぎ、今ではイタリアなどでよく飲まれているという。
ノックドゥーというブランド名が、ノッカンドオとかカードゥなどと紛らわしく誤解が生じやすいことから、1993年からは新しくアンノックというブランド名に変更になっている。コチラのほうが、よりゲール語の綴りに近いというのもその理由だ。ちなみにアンノックとは『小さな丘』の意
ポットスチルはスワンネック型で、今も昔も2基しかなく、しかもそれも創業時のものが現在も使われているという。
仕込み用水は前述の泉の水。この水はそのままノック村の家庭にも上水道として供給されている。

ノックドゥー

Trackback [0] | Comment [0] | Category [モルトウイスキーの知識] | 2013.09.02(Mon) PageTop


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