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果物がまるごと瓶に入ったお酒、どうやって入れるの?

よく瓶の中に、瓶の口からはとても入らないような帆船が入っている飾り物があるが、あれはどうやって造るのだろうと首をひねった人も多いだろう。
あれは瓶の口から材料を入れ、ピンセット等で、組み立てていくというのだから、気の遠くなりそうなしんどい作業だ。
一方、リキュールの瓶の中などに、ブドウや洋梨がまるごと入ったものを見かけた人も、首をひねったに違いない。
この場合は、ブドウや洋梨がまだ瓶の中に入るくらい小さい時に、瓶のほうを枝にくくりつけて、果物が多くくなるのを待って造るという。やがて果実が多くくなると、瓶まるごと収穫して、その中にブランデーなどを満たすのだ。コロンブスの卵と同じで、言われてみると「なぁんだ」と思うが、はじめに考えた出した人は頭がいい。

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Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2014.04.30(Wed) PageTop

人間の欲望が蒸留を始めた

焼酎をはじめとする蒸留酒は、醸造酒を蒸留して作り出される酒である。ごく大雑把に言ってしまえば、ビールを蒸留すればウイスキーや麦焼酎になるし、ワインを蒸留すればブランデーになるし、日本酒を蒸留すれば米焼酎になる。
醸造酒を高アルコール度数に変える蒸留の技術は、早くも紀元前4世紀には知られていたとの記録がある。古代ギリシャのアリストテレスは蒸留を利用すれば海水を真水に変えることができると記述しているのである。そして蒸留機は古代ギリシャを征服したマケドニアのアレクサンダー大王によって、エジプトのアレクサンドリアにもたらされた。
更にここで、蒸留機は酒造以外の目的で盛んに利用され、発展を遂げていくのある。それが卑金属を貴金属に変えようという夢の様なテクニックーーそう、錬金術である。
結局人間は鉄を金に変えることはできなかったが、錬金術が科学や医学の発展に大きく寄与したことはよく知られている。

その後、アレクサンドリアは7世紀になるとイスラムの支配を受けるようになる。当時のイスラムは世界の最先進国。蒸留うきはアラビア語でアランビックと呼ばれれうようになった。これがイスラムの大帝国を通じて西洋と東洋に伝播していったことが、純金ならぬ蒸留酒を生み出す契機になったのだ。
ちなみにヨーロッパではブランデーやウイスキーの蒸留釜の事を今でもアランビックという。
この語源は東方ルートにもモチロン影響を残している。東南アジア産のヤシ酒の焼酎はズバリ『アラック』だったし、中国でも焼酎のことを「阿刺吉酒」(あらき酒)、朝鮮でも「アラギ」といい、日本でも江戸時代には焼酎のことを「阿刺吉酒」と呼び習わしていたのである。
日本への焼酎の伝来にはいろんなルートを取ったという説がある。中国大陸から、朝鮮半島経由、東南アジアから琉球を通じて、シルクロードを通って・・・などがそうである。
そそらくどれが一つということはなく、複数あるいは全てが複合して、焼酎は日本に伝わったとかんがるのが合理的だろう。つまり日本文化の形成と全く同じ筋道である。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2014.04.25(Fri) PageTop

莫袮氏 あくねし  (鹿児島県産 芋焼酎)

ほのかで控えめな香りが漂い、芋やゴマ、花などを思わせる印象。
味わいは柔らかで軽く、甘味は少ない。上質のミネラル風味とかすかな甘味を感じる。後口はカラッとして、ドライなフィニッシュである。
飲み飽きしないタイプなので、水割かお湯割りでグイグイいきたい。

水で割っても薄まらず、膨らみ感と甘みが増す。お湯割りは仄かな芋香と香ばしい香り、甘さとトロミがあって苦味の少ない後口。

莫袮氏

Trackback [0] | Comment [0] | Category [焼酎の知識] | 2014.04.24(Thu) PageTop

ソムリエがぶら下げている変な容器の話

一流のフランス料理店には、必ずソムリエがいる。一口に言えばワイン専門のウエイターであるが、なかなかどうして、その権威は大変なもの。
ソムリエになるには、ワインお知識はもとより、サービスの仕方、在庫管理など、ワインの全てを知っておかなくてはならない。
知識と言っても、本で読んだ知識だけではダメで、実際にたくさんのワインを飲んで身につけた知識でないと、客から質問された時にボロが出る。ということから若いソムリエなど、本来いるわけはない。
ところで、ソムリエというと首から変な灰皿みたいなものをぶら下げているものと思い込んでいる人が多い。この容器はタスト・ド・バンといい、日本のレストランではこれをぶら下げているソムリエもいるが、欧州ではあまり見かけない。
タスト・ド・バンは、元はフランスのブルゴーニュ地方で、酒倉の中で利酒に使ったものである。この容器の内側はデコボコが付いているが、ワインをこれに入れてローソクの光を当てると、色相がよく分かるのである。
しかし、照明が良くなった現在、この容器は酒倉でも用いられることは少なく(グラスが使われる)ましてやレストランで使われることはない。日本でこれをぶら下げているソムリエも、実際にはこれで利き酒をするわけではないのだ。つまりはお飾り。自分の注文したワインを、ソムリエがタスト・ド・バンで利き酒しなかったからとひがむことはない。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2014.04.22(Tue) PageTop

志賀高原IPA  (日本 長野県産ビール)

「志賀高原ビール」の玉村本店は、創業1805年の日本酒蔵元だ。そこから数えること約200年の04年に、「志賀高原ビール」が産声を上げた。日本で地ビールが解禁された1994年から10年。歴史ある酒造メーカーが、満を持して地ビールに参戦したのである。
「志賀高原ビール」のコンセプトは、「自分たちが飲みたいビールを造る」。なかでも「志賀高原IPA」は琥珀色と細やかな白い泡のコントラストが魅力的だ。
IPAらしいホップの香りが新緑を連想させ、フルーティーなアロマはみずみずしい印象を与える。
高原を渡る風のようだ。味わいからは柚子やオレンジマーマレードに似た爽やかな香りと苦味が感じられ、モルトの甘味はカラメルや昔懐かしい黄金色の飴を思い出させる。後口には強い苦味が長く残るものの、最後は潔く引いてゆく。
日本では珍しい自家栽培ホップと地元の美山錦米を使った「ミヤマ・ブロンド」など、他には見えない独創的なビールにも挑戦している。

志賀高原ビール

Trackback [0] | Comment [0] | Category [ビールの知識] | 2014.04.21(Mon) PageTop

古代ギリシャのワインマナーは水割りだった?!

ウイスキーやブランデーといったアルコール度の高い酒でも、ストレートで飲むのが正しいマナーと通人は言う。
ましてや度数の低い醸造酒を水割りにするなど許されないと言うだろう。
ところが古代ギリシャでは、ワインを水で割って飲むのがマナーだった。ストレートのワイン?を飲むのものは、いわゆる田舎っぺ扱いされたという。
ワインと水の割合は、一対一がオーソドックるだが、水の割合を増やすことは会っても、それいかにすることはなかった。水割りのための特別な陶器の盃が作られたが、中には大理石や金銀細工を凝らしたものまで作られている。
なぜワインを水割りにして飲むのが正しいマナーであったかは定かでない。一説には、当時のギリシャでは大酒を飲むことが男の勲章であったために、酒を薄くして大量に飲んだと言われている。また、当時のワインは高価なものだったため、飲んでいる時間を長持ちさせるために水で割ったという説もある。
水割りワインの方法は、酒神ディオニスがアッテカ王アムフィクチオンに教えたという説がある。しかし、酒の神ともあろうものがワインの水割りを教えるとは情けない。
ただ、古代ギリシャでは、水以外に蜂蜜を入れたり、ところによっては海水を入れて飲んだというから、その味覚はとても理解できるものではないらしい。

Trackback [0] | Comment [0] | Category [お酒の知識] | 2014.04.19(Sat) PageTop


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